
竹内 明太郎 (1860〜1928)
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竹内 明太郎は、ワンマン宰相吉田茂の長兄であるが、若いときからわが国の工業技術が欧米に比較して非常に遅れていることを憂いていた。明治18年、26歳で竹内鉱業株式会社を設立し、炭鉱を経営した。また銅の電気精錬業を興し、工作機械の製造も始めた。
竹内明太郎は、工業の振興にはなによりも人材の養成が必要と考え、自力で工科大学の設立を計画した。そのために有能な若い学者を欧米に留学させていた。ところが、早稲田大学が創立25周年を期して理工科を設立する動きのあることを知り、自から計画していた工科大学設立の計画を、すべて早稲田大学に寄付することにした。すなわち、彼が私費を投じて養成してきた人材の提供と、長期にわたる資金援助を申し出たのである。
大隈重信候はじめ大学当局はこの申し出に勇気づけられ、理工科創設に踏み出すことができた。
この人材のなかに牧野賢吾(電気学)、小池佐太郎(採鉱学)、遠藤政直(機械学)、西岡達郎(機械学)、岩井興助(治金学)、山本忠興(電気学)、佐藤功一(建築学)がおり、理工創設期の指導者として大きく寄与したのである。なお、竹内明太郎は山本忠興の叔父でもあった。
早稲田大学は竹内明太郎のこの好意に深く感謝して、長く校賓として遇した。理工創設の恩人として深く敬意を表したい。 (大井 喜久夫)
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